吾唯足知
龍安寺のつくばい
真ん中に四角。そのまわりに、真ん中の四角を含む文字が配列されています。うまく出来ているなあ。誰が考えたんだろう。京都の龍安寺にあるつくばいに表された、「吾唯足知」の文字。15年ほど前に龍安寺に行った時、お土産にこの置物を買いました。実際に、これがある場所を見たのかは全く覚えていないのですが…。
吾唯足るを知る。「いろいろ厳しい修行もしてあれこれ考えたけど、わかったことはひとつ。自分には、足りないものなんてない。」ということです。思い出したのは『青い鳥』。幸せの青い鳥を探してあちこち旅したけど、その青い鳥は自分の家にあった。幸せは、どこか見知らぬ遠くにあるのだと思っていたけれど、実は家族との生活の中にあった。子供の頃は、そのメッセージよりも「青い鳥ってどんなんやろ?」という方に興味があった気がしますが。(家でインコを買っていたので。)
いつだったか国語の時間に「虹の足」という詩が出てきました。虹の中にいる村人は、自分が虹の中にいるとも気づかない、バスの乗客からは見えていて手を振っているのに、というものです。幸せな人は、自分が幸せの中にいるとは気づかない。健康だとか平穏な毎日だとか、それが当たり前の人にとってはその有り難みに気づかない。
幸せだということに限らないのかもしれません。ただこの世に生きているということ自体が、虹の中にいるようなものなのかも。もしかしたら、もうこの世にはいない人たちが、「オーイ、君たちは虹の中にいるんだぞー。」と一生懸命手を振ってくれていたりして。時間に追われて目の前のタスクを処理するだけの毎日になっていませんか?私達、生きている人は虹の中にいるんですよ!
「吾唯足知」は、物質的に満ち足りているとか、ただ単に幸せだということを超えて、この世にこうやって生きていること自体が「足りている」ことなのかも。満足じゃなくても、足りている状態。
有り難いお言葉だけど、この形面白い
哲学的な言葉です。俗世間に生きる私たちとしては、「うんうん、なるほど。生きている時間を無駄にするような過ごし方を改め、むやみに物を欲しがったり人をうらやんだりするのはやめよう。」と肝に命じつつ、吾唯足知の形の面白さに魅了されます。四角のまわりにこれらの文字、本当にうまくできてる!
というわけで、この造形を真似して、ギター好きの気持ちを表現してみました。オリジナル考えた凄い方、「しょうもないパロディー作るなー!」って怒らないでくださいね。虹の中にいるおかげで能天気に遊んでいる小人間のすることですから…。